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2017年末〜 はてなに引っ越してきました

第三回 あらかわを語る講談会

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講談。ここ数年、ちょっと流行っているみたいです。

落語との大きな違いとしてわかりやすいのは、演者さんがすわる座布団の前に「釈台(しゃくだい)」があり、それを演者さんが「張り扇」で叩きながら、笑い話や人情小噺というかんじじゃなくて歴史などの「物語」を語って聞かせるものです。

ご縁があって、荒川区コミュニティカレッジ卒業生が主催する講談の会の「影アナ司会」をやらせていただき、回も3回目。影アナ司会も3回目。

講談は女性の活躍している演芸で、毎回出演されている宝井琴桜さん、宝井琴柑さん、どちらも女性です。地元の小学生に講談体験をしてもらうなど、地道に活動されています。
毎年少しずつですが、講談の魅力がわかってきた気がします。


観にきてくれた後輩ちゃんと千駄木でご飯食べて帰りました。
お互い元気で、いろいろ話できて、よかった。

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久しぶりの夕焼けだんだん。ほとんどシルエットだけど。

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愚痴の反対語は

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 年末年始にかけて自分に起きたことを、ぽつぽつと、以前から親しい人に報告していくと、その親しさと優しさに甘えさせていただいているのはじゅうじゅう承知ですが、そんなのおかしいよって言ってくれたり、泣いて怒って同情してくれた人もいて、そういうので喜んじゃいけないよとは思うけど、やっぱり、うれしかったし救われた。

法律としてどうなの、と思うことは多々あり、それは「仕方ない」では終わらせず、これからの長い年月の中で1ミリでも問題提起する義務とチャンスができた、と思っている。だって、いろいろな矛盾を、過去の先輩たちが少しずつ変えてきてくださったことで今の自分があるから、私も後輩たちのために、おかしいと思うことはおかしいと言い残しておかなくてはいけないと思う。もうちょっと経ってから。←すみません

でも、自分の手の届く範囲の広さの意味では、今起きていることは誰のせいでもなく、心のうんと奥底で自分が考えていた「もうひとつの望ましい結果」。だからもう、起きたこと、携わってくださった皆さんには感謝しています。あとは進んでいくしかないのです。

 

「ここ数年、1年間の予定がすべて決まっている規則正しい日々を送っているの」

なんて数年前には昔のお仕事仲間にギャグのように報告していたことを喜びにしていたこともあったけど、

その間もプライベートではほんとうにいろんな変化があったし、規則正しい仕事だけをしていたのでもないし、規則正しい=楽とか暇 ではないことも経験できたし、そして今年はいよいよ仕事に変化が起きるかもしれない。というか起こる。いい変化にする。

「愚痴 の反対語は クリエイティブ」。「クリエイティブ の反対語は 愚痴」。と、ずっと思っている。

愚痴ってる時間があるなら、後悔してる時間があるなら、腹立ててる時間があったら、見張ってる時間があったら。とにかく手を動かす。それか、早く寝る。

なかなか自分でできていないことほど自分の座右の銘っぽく言語化しがちで、書いてて自分でも相当恥ずかしいけど、でも最近ほんとにこの言葉を心で唱えて乗り切っている。

写真はいつもお世話になっている方のひとりから最近いただいたもので、その方のことを思うたび、またこの言葉を思い出して、びしっとしなきゃぁ、って思うのです。

でも、最近は「それか、早く寝る」のほうばかり実行してしまっているなぁ --;

 

今年も

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あったかいお祝いをありがとうございました。

いい1年をおくろう。1日1日大切にしよう、という気持ちが、なんだか今年はすごくすごく強くて、だからこんなに遅くなってからでも、ぜったいブログにアップしたかったの(爆)。

柿の木坂カフェ

今年もめぐろパーシモンホールで歌ってきました。

歌については今回は自分的にはあまりの準備不足で、無事に来れて歌えただけで満足感でいっぱい、で終わってしまうのですが(すみません)、この日が締め切り、と決めていたことを無事に完成させてから歌いに来れたこと、それを、依頼していただいた人たちに喜んでもらえたことがうれしかった。

 

自分たちの主催するコンサート以外は、けっこうどのコンサートも長い待ち時間があって、今年は、会場近くの閑静な住宅街の中にあるカフェでおいしいコーヒーをいただき、花粉センサーが動き出すのを感じながら、暖かくなってきたお外でゆっくり飲んだり、おしゃべりしていました。いつもこういうお店を事前に調べて、楽しい時間をシェアしてくれるお友達には感謝です。

 

 

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1杯ずつていねいにドリップしてくれました

 

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外観

www.storage36.com

BELIEVE IN MUSIC 梯郁太郎メモリアルコンサート

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Rolandキーボードの創始者である梯郁太郎(かけはし・いくたろう)さんは、昨年の4月1日に87歳で亡くなられました。

梯さんの功績を称えるメモリアルコンサートにミッキー吉野さんとトミー・スナイダーさんが出演するということで、姉から誘われ、行ってきました。

 

客席の雰囲気にまず、びっくり。たとえていうなら、ふだん自分がゴスペルの演奏会のときやライブでお世話になっているPAスタッフさんや主催者側のいちばんバックステージ側にいるリーダーの方々がみんな客席に座ってるかんじ。

 

司会は千住明さん。

第一部は、生前の梯さんの生い立ちやインタビュー映像を交えながら、彼が開発した「電子オルガン」を、一流のオルガン奏者の方々が生演奏していくのですが、これが1台1台すごい貴重な年代もので、それを1曲ごとに舞台から撤収し、また新しいのを出してきては演奏していくというスタイル。


冨田勲さんが演奏したシンセサイザーのオルガンも登場しました。


演奏中も、ペダルをふむ足元や、音を切り替えるレバーがいっぱいの手元などもカメラで撮っていて、ステージ上に映像として同時に流れるという細やかさ。

 
休憩時間ロビーに出ると、第一部で演奏したヘクター・オリベラさんたちが、観客の皆さんと一緒に談笑していました。

 

そして第二部は、これまた梯さんがその開発に大きな役割を果たしたという、MIDIの歴史をたどるコンサート。“4人目のYMO松武秀樹さんが、実際にYMOのツアーに持っていったという機材を使った演奏からはじまり、ご子息の梯郁夫さんの演奏(電子パーカッションの「aFrame」がすごく興味深かった)、篠田元一さん(キーボードを演奏している人の中では知らない人はいないのかもしれません。私は不覚にも初めてお名前を知り、そしてもーぜったい覚えました、演奏すごかったです篠田さん。公式サイトにはこのライブの写真もいっぱい出ています)

そしていよいよミッキーさんトミーさんも出てきて、最後はおなじみの「Take It Easy」そして「MONKEY MAGIC」で。

ほんとに革新的ものを作っている人、すごいものを作っている人ほどその功績を自ら吹聴しない、それは大きな企業に属していないベンチャーな立場であることが多いからとか、若い人のために動くから、謙虚、とかそういうのもあるかもしれないけど、そんなことを考える暇もないくらい次々と自分の技術を使ってもらい、人にひろめ、次の新しいことにチャレンジしていっていたからなんだろうなと思います。

梯さんはMIDIについての特許を取らず、国や楽器を超えて使える世界の音楽の共通言語にしていきました。ゴダイゴの皆さんも実は梯さんが思いついた、MIDIをはじめとした音楽に関わるさまざまな「初の試み」を最初にやってみる実験バンドのような性質を持っていたことが、ミッキーさんが語るエピソードなどを聞いていてよくよくわかりました。
2012年にはグラミー賞のテクニカルアワードを受賞。この賞の第1回受賞者は、あのエジソンさん。


これを書いているときにこんな記事もみつけて、興味深かったです。

www.itmedia.co.jp

生涯をかけて長く長く音楽をつくりあげてきた人の魂のこもったこんなコンサートを見て、週のはじめに見たライブのことを思い出して少しつらくなったりもしたけど、ほんとうに、音楽っていいなぁ、と思えた時間でした。

 

SHINeeは5人

SHINeeのことを書くには、東方神起のことも、5人だった東方神起のことも、自分がならっているゴスペルのことも、お友達のことも、遡って、いろいろいろいろ全部書きたいと思ってしまうんだけど、それをやっていたら1日使ってしまいそうなのでぎゅぎゅっとまとめて、

 

ゴスペル仲間のお友達にすすめてもらったSHINeeが大好きで、今回もライブに行ってきました。

 

 

昨年秋の東京ドームライブには、5人の中で自分がいちばん好きなオニュが来日できず、4人だけのライブでした。

 

そして年末が近づいた頃に、2月にまたドームライブを行うことが決まり、

「こんどは5人だね」「やっと5人のSHINeeが観られるね」と友達と喜び合っていました。

 

ところが、年末にメンバーのジョンヒョンが、突然この世からいなくなってしまったのです。

 

大好き、といっても、非常に気の多い音楽生活&最近は野球にも心を奪われている日々だし、私のお友達をはじめ熱心な熱心な熱心なシャヲルの皆さんに比べれば、それはそれはそれはライトなものだけど、そんな気の多い自分が同じアーティストのライブに通うというのは、自分基準ではかなりのファンです。

ハッピーな音楽、圧倒的なダンス、回を追うごとに頼もしくカッコよくなっていく5人、彼らのはじける笑顔や真剣な表情、感極まってこぼす涙、大きなステージから降り注ぐ照明とファンの振るペンライトの光の海に360度包まれる空間。

そういうの全部、自分にとって、キラキラした幸せなもの だけで包んでくれる存在がSHINeeだったので、最初は何が起こったのかわけがわからず。

そして詳しいニュースが流れてくるたび、

こんなに幸せに思いすぎたのがいけなかったのかもしれない、
5人であることに期待しすぎたり喜んだりしすぎたりしていた自分にも、0.000000001%くらいは原因があったのかも、

なんて、いろいろ考えてしまったり…

 

それでも4人は予定通り、2月のライブを行いに来日してきてくれました。

行っていいんだろうか、なんて思ったりもしたけれど、いざステージがはじまると、そしてオニュの歌声がステージから流れると、やっぱりキャーと叫んじゃうし。

でも、ジョンヒョンにきちんと生前の感謝の気持ちを示し、残されたメンバーひとりひとり、そしてファンが、お別れにきちんと向き合える時間を作ってくれていた演出もあって、客席は笑ったりすすり泣いたり忙しかったです。

「LOVE」は3年前、SHINeeにとって初の東京ドーム公演のアンコールで、私もそれが最初に行ったSHINeeのライブだったんだけど、ジョンヒョンすごいうれし泣きしてたとか思い出すと、たまらなかった。

こんな状況で変わらず幸せをくれるライブができてしまう彼らはやっぱりすごい、観てよかった、という思いはありますが、もうこんな悲しいライブは2度とあってはいけない、とも思っています。
残されたメンバーやご遺族の心が、ゆっくり、ほんの少しでも癒される時間が多く持てることをお祈りしていたいと思います。

今回のツアーのロゴは星型で、
SHINeeは今もこれからもずっとこの5人、という想いが形になっていることで救われているファンは多いのかなと思います。自分も含め。

 

 

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お友達がSHINeeカラーの入浴剤をプレゼントしてくれました。
今回「Diamond Sky」のときからずっとライブ中手に持ってました。