BELIEVE IN MUSIC 梯郁太郎メモリアルコンサート
Rolandキーボードの創始者である梯郁太郎(かけはし・いくたろう)さんは、昨年の4月1日に87歳で亡くなられました。
梯さんの功績を称えるメモリアルコンサートにミッキー吉野さんとトミー・スナイダーさんが出演するということで、姉から誘われ、行ってきました。
客席の雰囲気にまず、びっくり。たとえていうなら、ふだん自分がゴスペルの演奏会のときやライブでお世話になっているPAスタッフさんや主催者側のいちばんバックステージ側にいるリーダーの方々がみんな客席に座ってるかんじ。
司会は千住明さん。
第一部は、生前の梯さんの生い立ちやインタビュー映像を交えながら、彼が開発した「電子オルガン」を、一流のオルガン奏者の方々が生演奏していくのですが、これが1台1台すごい貴重な年代もので、それを1曲ごとに舞台から撤収し、また新しいのを出してきては演奏していくというスタイル。
冨田勲さんが演奏したシンセサイザーのオルガンも登場しました。
演奏中も、ペダルをふむ足元や、音を切り替えるレバーがいっぱいの手元などもカメラで撮っていて、ステージ上に映像として同時に流れるという細やかさ。
休憩時間ロビーに出ると、第一部で演奏したヘクター・オリベラさんたちが、観客の皆さんと一緒に談笑していました。
そして第二部は、これまた梯さんがその開発に大きな役割を果たしたという、MIDIの歴史をたどるコンサート。“4人目のYMO” 松武秀樹さんが、実際にYMOのツアーに持っていったという機材を使った演奏からはじまり、ご子息の梯郁夫さんの演奏(電子パーカッションの「aFrame」がすごく興味深かった)、篠田元一さん(キーボードを演奏している人の中では知らない人はいないのかもしれません。私は不覚にも初めてお名前を知り、そしてもーぜったい覚えました、演奏すごかったです篠田さん。公式サイトにはこのライブの写真もいっぱい出ています)
そしていよいよミッキーさんトミーさんも出てきて、最後はおなじみの「Take It Easy」そして「MONKEY MAGIC」で。
ほんとに革新的ものを作っている人、すごいものを作っている人ほどその功績を自ら吹聴しない、それは大きな企業に属していないベンチャーな立場であることが多いからとか、若い人のために動くから、謙虚、とかそういうのもあるかもしれないけど、そんなことを考える暇もないくらい次々と自分の技術を使ってもらい、人にひろめ、次の新しいことにチャレンジしていっていたからなんだろうなと思います。
梯さんはMIDIについての特許を取らず、国や楽器を超えて使える世界の音楽の共通言語にしていきました。ゴダイゴの皆さんも実は梯さんが思いついた、MIDIをはじめとした音楽に関わるさまざまな「初の試み」を最初にやってみる実験バンドのような性質を持っていたことが、ミッキーさんが語るエピソードなどを聞いていてよくよくわかりました。
2012年にはグラミー賞のテクニカルアワードを受賞。この賞の第1回受賞者は、あのエジソンさん。
これを書いているときにこんな記事もみつけて、興味深かったです。
生涯をかけて長く長く音楽をつくりあげてきた人の魂のこもったこんなコンサートを見て、週のはじめに見たライブのことを思い出して少しつらくなったりもしたけど、ほんとうに、音楽っていいなぁ、と思えた時間でした。
SHINeeは5人
SHINeeのことを書くには、東方神起のことも、5人だった東方神起のことも、自分がならっているゴスペルのことも、お友達のことも、遡って、いろいろいろいろ全部書きたいと思ってしまうんだけど、それをやっていたら1日使ってしまいそうなのでぎゅぎゅっとまとめて、
ゴスペル仲間のお友達にすすめてもらったSHINeeが大好きで、今回もライブに行ってきました。
昨年秋の東京ドームライブには、5人の中で自分がいちばん好きなオニュが来日できず、4人だけのライブでした。
そして年末が近づいた頃に、2月にまたドームライブを行うことが決まり、
「こんどは5人だね」「やっと5人のSHINeeが観られるね」と友達と喜び合っていました。
ところが、年末にメンバーのジョンヒョンが、突然この世からいなくなってしまったのです。
大好き、といっても、非常に気の多い音楽生活&最近は野球にも心を奪われている日々だし、私のお友達をはじめ熱心な熱心な熱心なシャヲルの皆さんに比べれば、それはそれはそれはライトなものだけど、そんな気の多い自分が同じアーティストのライブに通うというのは、自分基準ではかなりのファンです。
ハッピーな音楽、圧倒的なダンス、回を追うごとに頼もしくカッコよくなっていく5人、彼らのはじける笑顔や真剣な表情、感極まってこぼす涙、大きなステージから降り注ぐ照明とファンの振るペンライトの光の海に360度包まれる空間。
そういうの全部、自分にとって、キラキラした幸せなもの だけで包んでくれる存在がSHINeeだったので、最初は何が起こったのかわけがわからず。
そして詳しいニュースが流れてくるたび、
こんなに幸せに思いすぎたのがいけなかったのかもしれない、
5人であることに期待しすぎたり喜んだりしすぎたりしていた自分にも、0.000000001%くらいは原因があったのかも、
なんて、いろいろ考えてしまったり…
それでも4人は予定通り、2月のライブを行いに来日してきてくれました。
行っていいんだろうか、なんて思ったりもしたけれど、いざステージがはじまると、そしてオニュの歌声がステージから流れると、やっぱりキャーと叫んじゃうし。
でも、ジョンヒョンにきちんと生前の感謝の気持ちを示し、残されたメンバーひとりひとり、そしてファンが、お別れにきちんと向き合える時間を作ってくれていた演出もあって、客席は笑ったりすすり泣いたり忙しかったです。
「LOVE」は3年前、SHINeeにとって初の東京ドーム公演のアンコールで、私もそれが最初に行ったSHINeeのライブだったんだけど、ジョンヒョンすごいうれし泣きしてたとか思い出すと、たまらなかった。
こんな状況で変わらず幸せをくれるライブができてしまう彼らはやっぱりすごい、観てよかった、という思いはありますが、もうこんな悲しいライブは2度とあってはいけない、とも思っています。
残されたメンバーやご遺族の心が、ゆっくり、ほんの少しでも癒される時間が多く持てることをお祈りしていたいと思います。
今回のツアーのロゴは星型で、
SHINeeは今もこれからもずっとこの5人、という想いが形になっていることで救われているファンは多いのかなと思います。自分も含め。
お友達がSHINeeカラーの入浴剤をプレゼントしてくれました。
今回「Diamond Sky」のときからずっとライブ中手に持ってました。
ブロードウェイと銃弾
「ブロードウェイと銃弾」観てきました。
今回はチケットをとってからかなり日数が経っていたのと、年末年始ずっと受験生のような日々だったので、公演名と「帝劇じゃなくて日生劇場なので気をつけよう」ということ以外、ほぼ何も予習をせずに来てしまいました。
当日友人からチケットを受け取って初めて(お、原作ウディ・アレンなんだ)お芝居が始まってしばらくして思ったことは(こんな端っこの脇役っぽい位置に、なんで城田優さんがぼーっと立ってるの?)。われながらひどい…でもその感想がそのまま、このお芝居のストーリーの最大のネタバレでもあり面白さにつながっていきます。
エリザベートとかレミゼとか、非日常の歴史の渦にドキドキしながら巻き込まれるような王道的なミュージカルも好きですが、これは頭を空っぽにして笑えたし、わたしこの時代の、うん、1920年くらいの、場末のキャバレーでJAZZが流れてるみたいな(雑な想像)NYの雰囲気とか好きなんだなぁとあらためて。
浦井健治くんの、カッコいい中にも小動物のようなキュートさがあるところとか、城田さんが、あんなカッコいいのになぜか笑いをとりまくるところとか、平野綾さんのぶっとびぶり、前田美波里さんの、演技じゃなくて地でやってるのではと思わせる往年のスタアぶりとか、それぞれの個性がすごくハマってて、古きよきハリウッド映画 をモチーフにした日本のオリジナルコメディというふうにもみえました。
タップダンスとかのシーンはNY仕立てというかんじで、もろ、好みでした。
終演後はお友達とお茶して、舞台の感想やそれ以外のこと、いっぱい話しました。
ケーキ1つ選ぶのにワイワイするのとか、いいよね。
かゆいか、かゆくないか
皮膚炎が突然再発したのは、3年前の春でした。
ようやく今月になって本格的に治ってきた気がしますが、
治ってきたかと思えばまたひどくなって、をずっと繰り返しているので、今回も喜び過ぎて油断しないようにしています。
でも、今回の治りかたは、今までとは違うかも、という気もしてます。
ここへきて皮膚科のお医者さんが新兵器の薬を出してくださったりしながらも、薬の強度もだんだん下がってきて、今のサポートメンバーはこの子たち。
越冬クリームは薬じゃないんですが、今の自分には合っているみたいで、刺激が少ないのが助かります。ハウスオブローゼはいいね。
調子が良くなってくると、改めて、ここ数年の自分のほとんどの選択・判断や感情の大半が、
かゆいか、かゆくないか
に占められていたのだとわかります。
いま、かゆさと戦っている皆さん、あとちょっとです、頑張ろう(大きく出てみた)。