Minimalのチョコ
お仕事でお世話になっている方から書類が送られてきて、中にこんな封筒も入っていた。おしゃれー。
中身はチョコレート。パッケージについてた名刺のようなカードは製品の説明。
すごい濃厚な香りのわりに甘すぎず食べやすくて、美味しかったです。
ここのチョコレートでした。ごちそうさまでした。
第三回 あらかわを語る講談会
講談。ここ数年、ちょっと流行っているみたいです。
落語との大きな違いとしてわかりやすいのは、演者さんがすわる座布団の前に「釈台(しゃくだい)」があり、それを演者さんが「張り扇」で叩きながら、笑い話や人情小噺というかんじじゃなくて歴史などの「物語」を語って聞かせるものです。
ご縁があって、荒川区のコミュニティカレッジ卒業生が主催する講談の会の「影アナ司会」をやらせていただき、回も3回目。影アナ司会も3回目。
講談は女性の活躍している演芸で、毎回出演されている宝井琴桜さん、宝井琴柑さん、どちらも女性です。地元の小学生に講談体験をしてもらうなど、地道に活動されています。
毎年少しずつですが、講談の魅力がわかってきた気がします。
観にきてくれた後輩ちゃんと千駄木でご飯食べて帰りました。
お互い元気で、いろいろ話できて、よかった。
久しぶりの夕焼けだんだん。ほとんどシルエットだけど。
愚痴の反対語は
年末年始にかけて自分に起きたことを、ぽつぽつと、以前から親しい人に報告していくと、その親しさと優しさに甘えさせていただいているのはじゅうじゅう承知ですが、そんなのおかしいよって言ってくれたり、泣いて怒って同情してくれた人もいて、そういうので喜んじゃいけないよとは思うけど、やっぱり、うれしかったし救われた。
法律としてどうなの、と思うことは多々あり、それは「仕方ない」では終わらせず、これからの長い年月の中で1ミリでも問題提起する義務とチャンスができた、と思っている。だって、いろいろな矛盾を、過去の先輩たちが少しずつ変えてきてくださったことで今の自分があるから、私も後輩たちのために、おかしいと思うことはおかしいと言い残しておかなくてはいけないと思う。もうちょっと経ってから。←すみません
でも、自分の手の届く範囲の広さの意味では、今起きていることは誰のせいでもなく、心のうんと奥底で自分が考えていた「もうひとつの望ましい結果」。だからもう、起きたこと、携わってくださった皆さんには感謝しています。あとは進んでいくしかないのです。
「ここ数年、1年間の予定がすべて決まっている規則正しい日々を送っているの」
なんて数年前には昔のお仕事仲間にギャグのように報告していたことを喜びにしていたこともあったけど、
その間もプライベートではほんとうにいろんな変化があったし、規則正しい仕事だけをしていたのでもないし、規則正しい=楽とか暇 ではないことも経験できたし、そして今年はいよいよ仕事に変化が起きるかもしれない。というか起こる。いい変化にする。
「愚痴 の反対語は クリエイティブ」。「クリエイティブ の反対語は 愚痴」。と、ずっと思っている。
愚痴ってる時間があるなら、後悔してる時間があるなら、腹立ててる時間があったら、見張ってる時間があったら。とにかく手を動かす。それか、早く寝る。
なかなか自分でできていないことほど自分の座右の銘っぽく言語化しがちで、書いてて自分でも相当恥ずかしいけど、でも最近ほんとにこの言葉を心で唱えて乗り切っている。
写真はいつもお世話になっている方のひとりから最近いただいたもので、その方のことを思うたび、またこの言葉を思い出して、びしっとしなきゃぁ、って思うのです。
でも、最近は「それか、早く寝る」のほうばかり実行してしまっているなぁ --;
柿の木坂カフェ
今年もめぐろパーシモンホールで歌ってきました。
歌については今回は自分的にはあまりの準備不足で、無事に来れて歌えただけで満足感でいっぱい、で終わってしまうのですが(すみません)、この日が締め切り、と決めていたことを無事に完成させてから歌いに来れたこと、それを、依頼していただいた人たちに喜んでもらえたことがうれしかった。
自分たちの主催するコンサート以外は、けっこうどのコンサートも長い待ち時間があって、今年は、会場近くの閑静な住宅街の中にあるカフェでおいしいコーヒーをいただき、花粉センサーが動き出すのを感じながら、暖かくなってきたお外でゆっくり飲んだり、おしゃべりしていました。いつもこういうお店を事前に調べて、楽しい時間をシェアしてくれるお友達には感謝です。